齋藤春佳24【とめどなく違う感性】

「とどく」齋藤春佳

2022年10月16日の日記から

「なんかダルいし行かないでおこうかな?」
と言いつつもお化粧したら行ける準備はできて、
おっぱいあげてからIの抱っこする赤ちゃんと一緒に家を出た。
赤ちゃんとIはそのまま散歩。私はバスに乗って渋谷へ。


今日は大木さんのトークで、
まだ展示が始まってから大木さんが会場にいる日に居合わせていなくて、
それで
大木さんの言葉の感じを借りるならば
“感じ”がわからないから、
行かなきゃいけない気がして、行きたいってことで、やっぱり家を出た。

赤ちゃん、産まれてから55日目、小さすぎるからまだだけれど、たとえぱ一緒にこのままトークを聞きに行ったり、展示を見たり、喫茶店に仕事しに行ったり、そういう私の都合にくっついてきてもらうことも起こるのかなと歩きながら妄想して、それは、具体的想像力が足りてないだけかもしれないけれど子供がいることでできることが減るという感じには思えないというか、たくさん思い通りにならないことが起こること自体で何か増えるような、頼もしいような気がして、
その気分を
「なんか、ポケモン連れてるみたいなきもち」
と発語した。
でも彼は彼の人生を実行しているから



トークで
ぴあさぽーとの相川さんが
「たとえ、ある人と会ったとしても、少し関わり合ったとしても、それはその人の一面でしかなくて、
やはりその面以外の、とめどなく違う感性がある。」
と言っていて、
本当にそうだと思った。
わからない、けど、いることはできる
というような内容の言葉も言っていた。


これはまとめすぎだけれど
大木さんも田中さんも自分も
とどく展と銘打ちながら
わからなさ、わかりあえなさ、とどかなさについて作品を作っているようなきもする
この形でのとどかなさ


大木さんにトーク中に話しかけられて
今回のはるかの作品、始まる前はすごいいい、無理してない感じ、とか、褒めてたよねえ、言ってたけど、始まってみて、やっぱりここにも障害を感じる、作品を展示するということ、この社会、世界に展示するということについての
僕と問題意識が違う、と思った
という言葉に、ちょっとショックをうけながら分かる。
違わないよ〜!
違うけど〜!と思う
でも分かる、
今回の作品の展示の仕方についてそう言われるのはわかる
ただ、私の作品を通した現実への関わり方みたいなことへの問題意識のあり方が伝わってないんじゃないかとも思った
というのは、
伝わるように展示できていないってことなんだとも思った


現実に対しての作品の位置付け
ある意味フィクショナルなものとしての作品の位置付け
今回作品を制作している時間の中に没入していた
でも、それで、そっちが現実になるみたいなことが起きていった


つまり
現実側から作品に物事を及ぼすという方向性しかなかったけど
作品側から現実に染み出す出来事

具体的には
今までは
過去にあった出来事を絵に描くこと(それをアーカイブとして行っているわけではなくて、過去にあった出来事を思い出すこととそれを描くことと出来事自体の分断の中で実際に線なり面なり色なりで描いたり書いたりするという運動を利用して、日常的時空間とは別の自空間認識を視覚から起こす、それが実際に生きる時空間に及ぼすことがあるみたいなこと)をやってきた
けど、
今回は、
絵に描いた形が立体として現実化したり、お手紙のやりとりの記録を絵に描くのではなくてもはやお返事を絵に書いちゃってそこからお手紙を書く、
現実世界と作品の力関係が、モチーフと制作行動、事実とフィクション、リサーチと成果、というふうには二分できない状態になってきて

現実世界と作品内世界みたいなものの力関係が制作する時間の上では逆転したり混ざったりしながら進んでいた。
なんか具体的に書いたら微妙で言い訳がましいな


でも兎に角
それが見えづらいのかもしれないし
展示の設えにおいて、見えづらいのかもしれないし、まだ足りない部分もありそうだし、
納得しながら


大木さんに
コラボしたい
って言われて

それは必要なことだと思って、

やっぱり赤ちゃん置いてでも今日来てよかったと思ったと言ったり、
やろうって話をしたり

そしたら竹野さんが
変化していく展覧会になりますので、何度もお運びくださいとまとめてくれていた


注 NPO法人ピアサポートネットしぶや(とどく展参加作家、大木裕之がやりとりをしている不登校などの若者を支援する団体)

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