6月15日の日記から
手話で「元気ですか」とやってみる。
でも、手紙と似てるのは、指文字の方なきがする。
一文字ずつ、砂粒みたいな、字、その組み合わせ、信号みたいなもの。
手話は手紙というよりどちらかというと、ダンスっぽい。
6月16日の日記から
指文字で、語り始める手前の一瞬、交わされるもののことを考えて、つぼに絵付けをした。
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6月17日の日記から
大学の講義で、大木さんが、手話じゃないけど、手話みたいな手つきで、それはダンスだけれど、相手に音声言語を使わず語りかけているのを見た。伝わったり伝わらなかったりしていた。
手話はやっぱり、ある意味、テキスト的ではない。
記号的ではない。
もちろん知識はやっぱり必要で、知らない手話を読めないけれど、
それでも、手話は、歌的であり、感情的であり、ダンス的であり、時空間的。
指文字は記号的で、砂粒的で、
知識として、例えば「A」は「A」って読むこととか「あ」は「あ」って読むことをわかってないと、大体が共有不可能。
「한」って書かれてもハングルの知識を持たない私は何もわからないみたいなこと。。。
象形文字的指文字も結構あるけど。
「め」が目の形を示していたりとか、「ゆ」が温泉のマークのかんじとか、「き」がきつねとか。
そこから来ているのか、覚えやすさのためにそういう説明がついているのか、わかっていないけど。
「も」とかは言葉でうまく書けないけど、「~も」と示す手話と同じっぽい。
なんかそれで、
だとしてそこから作品にしていくにあたって、
この手紙のやりとりや、行っていること、考えたこと全てを、
モチーフとして応答しきろうとはしなくてもいいんだよな~と感じる。
ネタにするみたいになったら、もう全然、絶対違うと思う。
6月19日の日記から
指文字で話している手を撮影して、
それをYoutubeの限定公開動画としてアップして、URLを受け取った本人しか見られないようにして、QRコードにして印刷したものを物理的に手紙として送ってみた。
お返事が全然来ない人に一方的に。
いないかもしれない宇宙人に向けて飛ばす電波の通信みたいなイメージ。
星側の目を想定するイメージ。
モールス信号みたいなイメージ。
指文字の手紙。
動画見返して、結構間違えてるなと思う。普通に伝わらないかも。
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【文・画像提供:齋藤春佳】