齋藤春佳 8【トーク収録:「聴覚障がい者」という言葉をつかうのが気になるし、戸惑う】

「とどく」齋藤春佳

2021年7月29日の日記から

午後いち病院。変化なしの様子見。
「聞きたいこととかありますか?」
「気をつけることとか特別にはないですもんね…」
「そうですね、普通に過ごしてください」
「わかりました。普通に過ごします…」ってなんかちょっと堂々と言ったら先生も看護婦さんもアハハとなって、「ウケた」と思った。漫画だったらほっぺがちょっとピンクになる表情の気持ち。

帰り道、昔は「タム」と読んでいた「田無」のことも「たなし」と普通に読めるようになったことだし、「キンジ」と読んでる「矜持」のこともいつか間違えられなくなるだろうとバスの中で思いながら車窓から見えた道場の看板「KYOKUSIN 極真」に、あ、ゴクシンじゃないのね…と思う。

帰ってきてZoomでとどくのトーク収録。そもそも日常生活でだってよっぽどリラックスしていないと会話というものにおいてはだいたい頭が真っ白になるので、とっても緊張する。頭の引き出しのどこに何があるのかわからなくなるからびっくり箱みたいに喋ってる。文章だと自分が書いた物事が残るし、何秒でも落ち着いて探せるから、まだわかるんだけど。今書きながら、これってもしかして治す方法というか、”話すということ”を自分に沿わせることができるようになる方法も、ちょっとしたノウハウみたいな感じで、探せばあるのかな?と思う。それとも、びっくりしたくないしさせたくなくてそーっと開けてるびっくり箱をなんでも平気でポンポン開けるみたいな方向に行っちゃうとか?困りそう。
とにかくトークは撮ったし、観念するしかない。
自分の喋りっぷりが本当に嫌だけれど、しょうがない。
大きなことを話し忘れた気もするけれど、しょうがない。

小川さんはその話のびっくり箱をどこに配置したら風景が見えるのか、双六を進めるみたいにお話してくれる感じがしてすごい。特殊脳味噌能力。本当に助けられたし、単純に慣れ親しんでいるけど遠くにいるから全く会えなくなった人と久しぶりに顔を見て話したらそれが懐かしくって嬉しくて、明るい気持ちで話せてありがたかった。
話し終えた後、
「私や小川さんが「聴覚障がい者」という言葉をつかうのが気になるし、戸惑う。」という内容のことを手話通訳の橋本先生と加藤さんのお二人から伝えられて、ハッとする。
障がいという手話を行うのがしっくりこないけれど、なんとか通訳した感じらしい。

私が時折言う「聴覚障がい」を「持つ」という言い方も、ちょっとどう通訳したらいいのか、という戸惑いがあるとのことだった。
私はブログ齋藤春佳「とどく」5にあるように自分がその「聞こえない能力を持たない」者として「聞こえない能力を持つ」=「聴覚障がいを持つ」(このブログを書いた時「聴覚障害」と表記しているけれど)と言う言い方を実感として手に入れたと思っていたところだったから、平気で言ってしまってもいた。でも、口に出すときに確かに「しょうがい」という音の強さみたいなものに引っかかる感じもあった、と、それを伝えもする。否定せず聞いてくださる。

小川さん「ろうの方っていう言い方だと、どうなんでしょうか」
橋本先生「ろう、っていうのも大丈夫だと思います。
僕は”聞こえない子(人、方など)”という言い方をします」
と聞いて、なるほど、と思いながら、けれど、それは橋本先生(沢山の生徒さんがいる)の関係性と膨大な時間と実感に沿った言い方であって、きっとその呼び方を私がそのまま採用するといいということではないなと直感していた。

どう呼称したらいいのか、それも手紙で聞いてみたらいいですよ。きっと答えてくれますよ。橋本先生。

トークの内容に関連して、聾学校の校歌にシュロの木が揺れるという描写があることを教えてもらった。
シュロの木の手話は手のひらがシュロの葉っぱみたいになってゆらゆら揺れていた。

【文:齋藤春佳】

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