齋藤春佳22 【今ここにいるあなたも 今ここにいないあなたも 元はと言えば 全員どこにもいなかった。】

「とどく」齋藤春佳

2022年8月27日の日記から

赤ちゃんが産まれた。
血を失いすぎて殆ど動けない。なったことのない体調。
部屋がまだ空いてなくて、産んだ場所でお昼を食べる。
どうしたものか不明だけれど、トントントントントントン触って小さく話しかけて遊んでいたら、ごきげんがおさまって、びっくりした。

これは手
これは足
これはおはな
これはほっぺ
これはお耳
これはおくち
これはあご

どこからきたの?
何見てるの?

きみかわいいんだね
君おもしろいね

涙出てるの?

お外はどう?
どんな気分?

いろんな気分だった?
いろんな気分にさせられたよねえ。


聞こえているのかわからないけれど、
見えているのかわからないけれど、
ごきげんがなおった。
きっとこのことを忘れるけれど、会えた。
きっとこのことを彼が忘れるのは、
今、覚えないのではなくて、
思い出すときにはもう違う思い出し方をする体になっているから、思い出せないだけで、
きっと、今起きていることをちゃんと全部わかっている、
分かつことない形でわかっているんだということが、よくわかった。



2022年8月31日の日記から

窓際で赤ちゃんにちょっと日を当てたりしたらよいと言われたので素直にカーテンを開ける。
お昼食べながら、赤ちゃんに日を浴びさせる。

黄疸の治療は要は紫外線を浴びさせるらしい。
なんで?黄色の補色が紫だから?

黄疸の数値は高いけれど、でも、ほんとに、今のところ五体満足で、健康に生まれてくれて良かったなと、
彼の5本の足の指を見ながら、サバ食べつつ思う。
よくできた指。

もちろんいつか、なにか、不具合はでてくるかもしれないけど、
でも逆に何を心配していたのかなとも思うけど、
それでも、やっぱり。
元気でいてくれるといい。
でも、ただ、
ヘレンケラーの世界のほうがたとえば私の世界よりも豊かでないなんてことはあり得ない。

足の指を見て、
窓の外を見ていたら、
外の空間を見ていたら、
ふと「とどく」のことが頭によぎった。
すっかり忘れてた。

“今ここにいないあなた”というのが、コロナ禍で、しかも手紙のやり取りを通じて何か作品を作っていく、「とどく」全体のキーワードだけれど、


“今ここにいるあなた”以外のこと、忘れ去ってた、ここ数日。
今ここにいるあなたに注力しすぎて、
今ここしかなくなっていた。

どこからきたのか不思議な赤ちゃん。

でも、
今ここにいるあなたも
今ここにいないあなたも
元はと言えば
全員どこにもいなかった。

そう思ったらなんか
驚きと嬉しさと安心と何かで
急に胸がいっぱいになってめちゃめちゃ泣けた。

窓の向こうの病棟はまた別の科で、
病気を治すことに従事して立ち働いてる人たちがよくはわからないけど見える。それがうまく行ってほしいという心があるのは、8月中友達の病気のこととか、その命のこととかを、よく考えていたと言うのもあるし、
今ここにいないあなたというのが、もちろん手紙の相手のあなたでもあるし、どこにもいなかったのに、いるというのが、
ここにいなくなるとしても、とも思えたり、会えない人たちや、死んだ犬、タイミングがあわなくて会えないだけと言うような、それでいて、この時代に、別々の場所にいたり、同じ場所にいたりすることが、すごすぎると思ったなどと説明を書けば書くほど遠ざかっていくような気もするけれど。

【文・画像提供:齋藤春佳】

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