齋藤春佳17【陶芸と妊娠と手紙】

「とどく」齋藤春佳

6月20日の日記から

「とどく」のアトリエ訪問というイベント。自宅。恥ずかしいけど撮っておいてもらえて嬉しい。
(去年1年間はお休み中のOngoingの2階をアトリエとして使わせてもらっていた)

午前中はクイックルワイパーをかけたりだとか、「もしかして?」と思って、関係ありそうな作品やメモを引っ張り出しやすくしたりもした。結論から言うと、別にもしかしたりはしなくて、そんなに個別の物品への言及はされなかった。
それは、座って2人でアクリル板を挟んで座り位置を決めてそこから動いたりはせずトークする、みたいなあり方だったり、撮影機材だけでパンパンになってもう身動きが誰も取れないこの極狭アトリエ部屋の状況がもたらしたことかもしれなかった。

話し始めて、よぎったけど言わなかったことがある。
陶芸の出来方、つまり焼成を挟むから、完成がどうしてもあなた任せになること。
そのことと手紙のやりとりに親和性があると感じている、
それは話したけれど、
もう一つ、今自分が妊娠していることもなんか、とっても陶芸っぽい。
つまり、窯出しするまでどんな錬成のされ方が起きているか不明であること。待ちの時間。常に待っている。
陶芸と妊娠と手紙。

焼けるまでどうなるかわからない陶芸を待つ感じ、
お腹の中にいる存在がいつか出てくるのを待っている感じ、
出した手紙に返事を待っている感じ。

言わなかったのは、「私の個人的妊娠このプロジェクトに関係ないですかね」と言うためらいがよぎったからだけれど、
でもこのプロジェクトに関係のない日常もしくはプライベートみたいなものがあるかって言ったら、一切ない、切り離せないと言った方が正しい。
なんなら全てに関係がある。
手紙を書く瞬間以外も、ずっと待ってるしずっと待たせているってことだから。
(ポストに投函した直後と、封筒を受け取って封を開くまでの間だけなんかちょっと違う時間が流れる)

だから普通に、言いそびれてしまったということだ。
なんか、でも、あんまり、過ぎたトークについては、なんか、開き直ってる。
私はとにかくトークが下手なんだし、それでいてこれからもっと下手なまま喋ったっていい。
だから、今後はちょっとでもよぎったら、なんだってやっぱ言おう、今回は特にどんな私のダメ喋りもどうにでもしてくれる小川さんが相手だったんだし。


6月21日の日記から

妊娠してから多くの個別の親切に出会ってきた。
それでも公共交通機関では妊娠している自分が気を配らないと理不尽な目にあう。
ひとつひとつを書きかけただけで背筋がさむくなって、怒りが迸る。
親切にされないとかじゃなくて、妊娠前より絶対キモイ目に遭いやすい。
自分は妊娠前は背が高いし1人の時は割と殺気立って歩いているから、変な目に遭いづらかったんだろうか。そんな世界自体がキモい。弱者に見えない人には変なことを
しなくて弱者に見えると変なことしてくる世界。オイ…。
今は理不尽な目に遭いづらい公共交通機関(完全私調べでの沿線)を選んだり、一本遅らせたりしている。
なんでそんなことしなきゃいけないのだろう。
普通にどんな電車にもバスにも快適に乗ることができたらいいのに。
Hちゃんが書いていた、
「社会の側に障害がある」と言う言葉が、こういうことかとわかる。
ただ、妊娠した体にならないと、「これがそういうことか」とはわからなかった。
想像力だけでは経験ができない。
でも、妊娠した体になる前から頭に残っていた言葉だったから、
言葉だから形で頭に残ったから、「これがそういうことか」とわかった。

帰宅して休んでから、100号に描いた壺の表面の絵の線を写真に撮って縮小プリントしたものを型紙として壺の形を土で作った。
いつもは、既にあった出来事から絵を描く。
出来事や見たものを思い出したりして描く。
けど、今回は絵から物を作っていて、その時間構造の逆転がなんか面白い。かなり不思議だとも感じる。絵を描いた時、未来を描いていたってことになる?

夏至。

【文・画像提供:齋藤春佳】

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