齋藤春佳28【最後のブログ】

とどく 「とどく」齋藤春佳

2023年3月20日の日記から

昨夜珍しくNは離乳食を食べないで乳で過ごした。多分それでお腹がずいぶんすいたのだと思われる、夜中何度も何度も起きていてかわいそう、私も寝ぼけながら起きたからそれが何回かは覚えていない。

Nが朝ごはんをぱくつく様子が可愛くて笑える。ささみがちょっと嫌らしいけれど、嫌そうなかわいそうな顔も、そういう嫌さを表情で示すことが可愛らしくて笑える。何かしら他のおかゆやとうもろこしやほうれん草やにんじんやらを挟みながら結局全て食べてくれる。離乳食全然大変じゃない。ありがたい。
しかし服を着替えさせる途中で、急にちょっと心が折れて「あ、もうだめだ」と口に出した瞬間があってびっくりした。
多分寝不足がいけないんだと思う。
Iが着替えを完了させてくれていた。

抱っこして一緒に蛇口から水を出して水を汲んで、ベランダのブルーベリーの木に水をあげる。
触っていた。
枝に当たって光る水飛沫が、ガラス容器が作る虹が、彼の目に映る速度で自分の目にも入ってきて、本当に面白い。ブルーベリー自体も日に日につぼみが膨らんでくる、代え難い、今日しかないことがよくわかる光景を、1人で見ていたとしてももちろんやっぱり貴重なものとして見ていたけれど、でも、1人で見ている時は、なんと言ったらいいか、受け止めきれないところもあった。
1人では、世界をただ生きるだけではいられないところもあった。

それが作品にせざるをえない部分とか、日記を書かざるをえないところとかになってきていたんだろうとも思うけれど。
絵を描く時間を生きる、日記を書く時間を生きる、それを経由せずに、というか今は時間がなくてできないというのもあるんだけど、生きることを生きるという当たり前のことが自然にある。
世界を生きること自体を生きられる。
子の目と一緒に世界を見ることは、私にとっては今の所、健やかなことだと思う。
というか、こういう生きる時間の存在を、よくわかっていなかったと、わかった。

大きいくまさん小さいくまさんの本を読んでたらNはめちゃめちゃ寝かけて、そのまま柔らか毛布で包んだらムチャムチャと眠って可愛かった。
Fさんに久しぶりのお手紙を書く。
Fさんとはこのプロジェクトで手紙のやりとりをしていて、唯一まだ一度も会ったことがない。

Fさんがくれたひとつ前の手紙の”自分が自分でよかった”という部分に、
私が共感と感動をして絵を描いた、
絵を描いた中にお手紙の返事を書くという形の絵、
その絵の画像をコピーしてそこにさらにFさんだけが読める続きを書き足して手紙として送った、それは確か前にブログにも書いた気がする
そのことに対してFさんは
“僕も共感あります”
と今回の手紙で書いてくれていた。
私が彼に共感して書いたことにさらに彼が共感して、って一生続けられそうでちょっと面白い、単にお互いとぼけあっているとも言える。
ただ、この手紙を書いている瞬間と読んでる瞬間はもう同じところに私たちはいると言ってしまってもいいのかもしれない。



“自分しかない思い出の「もの」”

という不思議な言い回しが書いてあった。
どういうことかわからないから訊ねてみる。
さらっと書こうと思っていたのに、書いてるうちに段々手紙が長くなってくる。
書いているうちに思っていることが膨らんできて、心が膨らんできて全部が入り切らない、書く運動に乗る部分をなんとか乗せている。

“齋藤さんにとって一番の思い出はありますか?”
と書いてあって、
全然わかんない。
それに対するお返事をまさに書こうとする瞬間にNが起きて泣いてしまった。そこから薬局やスーパーに一緒に行ったり、ホームセンターでお魚やイモリやトカゲを見たり、小さいカンパニュラを見つけてかかげたら、それは本当に一緒に見ている瞬間があった、カンパニュラは揺れていて可愛かった、交差点の見事な桜は指し示したけれどそれは多分私しか見ていなかった。
歩いている最中、”一番の思い出”が思いつかないことについて、ふと考えてしまっていて、そうするとただただ歩いていて、抱っこしているNの存在にハッとして「お車たくさん通ってるね、ここは新青梅街道だよ」などようでもないことを話しかけると考えてしまっていたことは遠のいていきながら、「ここ草がたくさん生えてるね」と言いながら見やった街路樹の根元に落ちてしまっている小さな針金付きの看板には【ハナミズキ】と書いてあって、ここらへんの木ってハナミズキだったんだっけ?!と思った。


“一番の思い出”
というと、よかったこと、しかも嬉しかったというかある意味自分の心が喜びで震えてパンパンになるようなこと、っていうと、もしかしたら子供時代なのだろうか、それはやっぱり褒められるみたいなことなんだろうか、感触としてはそんな気分がある、だけど、そういう感じじゃない物事が一番であってほしいというか、つまり思い出として思い出すようなくっきりした物事じゃない、後からは取り出して説明しきれない熱中みたいなものが自分にとっての喜びの形ではありそうな、そういうのを喜ぶ点こそが自分であるような、だから、こうやってのんべんだらりと日記を書きつけたり、何か、なんでもないことを絵に描いたり、行為している気がする、それは正しさではもちろんなくて、ただ、癖みたいなものなのかもしれない。

一個に絞れないで、
葉っぱの葉脈の一本一本を追うことでしか木全体を描き出せない手つき、
だから、今これは最後のブログのつもりもありながら書いているんだけど、
こういうふうに最後のブログを書くと思っても、なんか日記を書くことを通して、差し出せる大きな形がまだできていないまま、行為していて、でもそれが世界の何か大事なところに触る術なんじゃないかとも思っているからそうしている。
って堂々と言うならば毎日このブログを書くくらいが本当には求められると思う…としょぼくれながら今書きながら考え続けると、

“一番の思い出”という言葉の構造と、私の”大事な出来事”みたいな認識が、時間感覚としてちょっと噛み合いづらいのかもしれない。

そういう意味では、”一番の思い出”というのは言葉のあやでありうるかもしれないというかそもそもすごく厳密な定義の言葉でFさんは書いたのではない気がしてきて、
そしたら、
今のこの暮らしは、後々思い返したら、その未来からの目で見たら、そういう時間感覚で言ったら、今が一番の思い出と言っていい日々かもしれないという気もしてきた。
鳥が抜き足差し足で魚捕まえて食べるところ見たりとか。木蓮の蕾見たりとか。河原に座って風に吹かれたりとか。
今日オリーブの葉の上で、てんとう虫、初めて見たね。
それで、夕飯はヅケ丼とブロッコリーと野沢菜とわかめおひたしとなめこ汁の味噌じゃないやつ(を私は生まれて初めて食べた、顆粒だしがなかったから味噌汁をやめて白だしで味をつけたのだけれど意外と変わらない気分だった)、
Nはおかゆといちごとブロッコリー、そしてレバーと緑黄色野菜という市販品に挑戦して、ブロッコリーのつぶつぶを上手に口から出したりしていた。確かに知らなかったら正体不明でしょうね。
食事しながらIに
「一番の思い出って何?」と聞いたら
「難しいね…でもやっぱり何か、野球をやってた頃のことを思い出しちゃうかな」
と言っていて彼が野球をやっているところを私は一回も見たことがないのでとても意外だった。
でも、子供の頃ってことだね、確かに、”一番の思い出”って言うのが何かによるけどものの思い方のことを考えると子供の頃っていうのはわかる、何か、まだ未知の部分が、わからなさが、世界のわからない部分がそのまま光っていたというか。大人になるとそう感じられなくなっている部分みたいなことが。そう思うと、なんというか、今一緒にNがいてくれることが…何かありがたいね、って話をしながら、自分は子供の頃の穂高のじいちゃんちの長い廊下を思い出したりしていた。

それで、Nをお風呂から引き上げてクリーム塗ってオムツつけてボディスーツの首だけ通したら逃げていく彼を諦めて私はまた「もうだめだ」となって、いろんなことがあって、デジカメで3ヶ月前のNの動画見て全然違うことに驚きながら楽しんだりしつつNが寝てくれて、自分も眠くてちょっと横たわってそのまま無に吸い込まれそうなところを、グッと起きて、手紙の続きを書いた。


手紙は、田中君のデザインの便箋に書いていて、やっぱりそのデザインのムードに何か引っ張られる感じがある。田中氏のムードみたいなものにひっぱられる。

手紙を書きながら、
当然これが最後にならないつもりで手紙を書いていて、しかしよく考えたらFさんは4月から環境が変わるということだから、もしかしてお引っ越し、だとしたらこのお手紙は届くのかしら?!とにわかに心配にもなった。
届きますように。
そして、よければ新しい住所を教えてください、と書いておいた。
とどくのプロジェクト全体のことは、振り返るにはあまりにも情報が多くって、
そういえば日中、
“一番の出来事”について
わかんないなと思いながらベランダから木蓮を見下ろしながら、
自分の人生自体の35年間が何か一つを切り取るにはもう長すぎるから一番を決められない説をも思ったのだけれど、
35年の中の約2年半がこのプロジェクトと共にあって、それって結構な分量だと驚いた。
驚いたけれど。自分の人生にとっては実際そのくらいの分量があるプロジェクトだった。
どういうふうに、自分が何もろう文化を知らないところから、気付いたり間違えたり分からないままだったり分かったりしてきたかは、全部は載っていないけれどある程度はブログに結構たくさん書いてきたり、トークにしてきたつもり、取りこぼした部分もありすぎるけれど、でも、全部は残らないのは、本当に、それはそう。

これが終わりと思うと書き終われない
この先の出来事全部はもうプロジェクトとしては公開されないんだ
そう思うと果てしない
何か、独り占めしていいんだろうかとも思う
6名の手紙をやりとりをしてくれた人たち
橋本先生
田中くん大木さん、小川さん、竹野さん、急に手を離すようで心細くなる(繋いでたっけとも思って笑えるけれど、何かそう言う運動性はあった)
感謝してもしきれない
あまりやりとりができなかったと気にさせてしまった人もいたけれどそのこと自体が作品になった、その手紙側に載らないあなたの生きる時間が作品に響いた、だから大丈夫なんですよと何度か言ったけど大丈夫だと言うことが本当に伝わっているか心配でもある。やっぱり気にしていそうだったから。
伝わるように伝えらたらいいな。
伝え方は色々ある。
ありがとう
元気でいましょうね
また手紙書きます。


終われないけど終わり!

【文:齋藤春佳】


注「必要ない」の意。長野県の方言。

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