アール・ブリュット2022巡回展「かわるかたち」プレイベント「本田まさはるさんと、街ぶらライブペインティング」のふりかえりトーク

事業報告 アール・ブリュット2022巡回展 かわるかたち いろいろな素材、さまざまな表現
撮影:池ノ谷侑花(ゆかい)

2022年7月から12月にかけて、都内各地を巡回した「アール・ブリュット2022巡回展『かわるかたち』」の開催に先駆け、出展作家のひとりである本田雅啓[まさはる]氏を招き、公開制作とワークショップを兼ねたライブペインティングを行いました。
日ごろは、佐賀県にある事業所「PICFA」*1 のアトリエなどで創作する本田さん*2が、参加者と協力して、渋谷の街をテーマにした幅4メートルの大きな絵を制作。完成した作品《シブヤノマチナミ》は、制作の様子を記録した映像作品「ドキュメンタリー・ムービー『シブヤノマチナミ』」*3と共に展覧会の会場で展示しました*4 。
ここでは、本イベントのファシリテーターを務めた原田啓之氏(PICFA施設長)とドキュメンタリー・ムービーのアートディレクションを行った池田晶紀氏(写真家)による対談を書き起こして掲載します。(対談日:2022年9月20日、聞き手:門あすか(展覧会担当学芸員))


*1=医療法人清明会 障害福祉サービス事業所 PICFA: 2017年7月に開設した障害者就労支援B型事業所。利用者は、自由な創作活動の他、複数のメンバーがコラボレーションしての作品づくりや、企業が依頼するプロダクトのアートワーク、街中など開かれた場でのライブパフォーマンスといったアートの仕事を介し、人や地域と交流しながら、社会との関わりを広げています。
*2=トーク中の呼び名に合わせて以下「本田さん」と記します。
*3=クリエイティブディレクター:池田晶紀、編集ディレクター:菊池謙太郎、撮影:池田晶紀、菊池謙太郎、添田康平、池ノ谷侑花、撮影助手:道幸琴乃、音楽:大野真吾
*4=第1会場と第3会場は、《シブヤノマチナミ》と映像作品を共に展示し、第2会場は、映像作品のみを展示しました。

開催概要 「本田まさはるさんと、街ぶらライブペインティング」
日時:2022年4月16日 (土) 、4月17日 (日) 10:30-12:00/13:30-16:00
会場:東京都渋谷公園通りギャラリー 交流スペース
参加費・入場料:無料
アーティスト:本田雅啓、ファシリテーター:原田啓之
スケジュール:[散策]4月16日 (土) 10:30-12:00、[制作]16日 (土) 13:30-16:00 、17日 (日) 10:30-12:00、13:30-16:00
主催:東京都、東京都渋谷公園通りギャラリー(公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館)
サポーター:宇田川純子、宇野澤昌樹

撮影:池田晶紀

本田さんと原田さんの出会い

原田:僕はアートには関係ない道を進んでいて、福祉系の大学で福祉の勉強をしてそのまま福祉の道に進んだ人間です。障がいのある人が絵を描いたり、立体物をつくったりする学童保育のような場所があって、学生の時にそこでアルバイトをしていました。卒業して、老人ホームに就職後、またその場所で働いていたのですが、そこに本田さんが来るようになりました。当時18歳、高校3年生かな。(当時の)本田さんは、コミュニケーションが苦手で全く目があわないんですよね。先日、池田さんが面と向かって「しゃがんで~」とか言って写真を撮ってたけど、ああいうのは当時出会った時は絶対できなかった。「写真を撮るから」って声をかけると、カッターとかハサミ、マイナスドライバーを指に挟んで、ポーズをとるという人でした

池田:けっこう尖ってたんですね

原田:メチャクチャ尖ってましたよ、当時は。全然会話をしないし。あと、笑い顔を見せないんですよ。人前で。今は笑うけど。で、絵を描き始めたら、他の子たちとまったく違ったんですよ。フリーハンドで直線が引けるんです。スパーンと。びっくりしちゃって。「なんでこの人こんなに長い直線を、こんなにパスンパスン描けるんだろう?」みたいな。「じゃあ、図形とか描けるの?」と聴いたら「描けますよ」と言って。すごいつっけんどんに、図形をいっぱい、10通りぐらいワーッと描いて。さらに展開図も描いたんですよ

池田:へー。本当に!?

原田:うわーっ、これが天才っていう人なのか…みたいな。それが本田さんとの初めての出会いです

池田:本田さんはまだ高校生?

原田:高校生。制服着て来てました

池田:いやーすごいな

原田:僕はアートとか得意じゃないからわかんないけど…。喋らなくても線で圧倒させるみたいな。こういう人たちが絵描きさんというか、アーティストっていわれる人なんだろうなというのは、本田さんで初めて感じました。「こういう人、いるんだ」っていう

《モモタロウ》2020年/アクリル絵の具/水彩紙(パネル)/65.2×53.1×2.5cm
《ブレーメンノオンガクタイ》2021年/アクリル絵の具/水彩紙(パネル)/53×45.5×2.2cm

アートを仕事にする施設をつくる

原田:20年前に、アートを仕事にするという日本で初となる福祉施設の立ち上げから働き始めました。アートを仕事にするというのは、絵がうまい人を集めるわけじゃないんです。いわゆる本田さんみたいに何か描くのが好きとか、描いたり、壊したりすることで安心感を得られる人は集まってます。そして、彼らが親亡き後に一人で暮らすことやグループホームで暮らす際にいろんなことを経験、体験するための媒体でしかないんですよ、僕の中でアートって。当時、行政からは「アートを仕事にすることなんてできるわけない」と言われて、法人の認可がおりませんでした。しかし、その後、認可されて無事施設が立ち上がり、いざ始まったときの第1号のメンバーが本田さんでした。その時、彼は19歳。高校卒業して入ってきた。当時から施設で描いた本田さんの作品は販売していたので、たくさん売れてました。しかし、当時は今よりも描くスピードが速いんで、作品がたくさんある。実は19歳のときの絵も残ってるんですよ。一回見てほしいです

池田:見たい。うん、見たいです

原田:たぶんね、その当時の絵をみて池田さんは「こいつ、尖ってんな」って思う

池田:(笑)

原田:昆虫がぜんぶ合わさったような、メチャクチャとげとげしい感じの絵ばっかり描いていて、今けっこうハッピーな、やわらかい色なんだけど、本当に毒々しい絵でした

左)原田啓之氏、右)本田雅啓氏、撮影:ゆかい

ライブペインティングを始めたきっかけ

原田:本田さんがライブペインティングするきっかけは2003年か2004年なんです。福岡にある企画会社の方が本田さんを発見するんですよ。いろんな広告の表紙とかに本田さんの絵を使ってもらうようになった時に、それから1年ぐらいして「本田さんって、ライブペイントしないんですか?」って話があって。僕、ライブペイントというものを恥ずかしながら知らなかったんですよ

池田:うんうん

原田:ライブペイントって何ですか?って「アメリカとかって、路上でけっこう絵描いてますよ」って。「本田さんの絵って、描いてる様子を見せないと」とその人が言い始めて、「一回やってみません?」と言われて。どんな感じでやるんですか?って聞いたら「ちょうど大きいショッピングモールで、そこがイベントをやりたいって言ってるから、本田さん、ライブペイントしませんか?」と。高さが180(cm)、横幅が、たしか…5メートルくらいだったと思うんですよ

池田:おお

原田:え?って。ライブペイントってそんなでっかいの描かなきゃいけないんですか?と言ったら、その人が「いや、本田さん、でかいほうがいいと思う」と

池田:ハハハ(笑)

原田:僕はぜんぜんわかってなかったんです

池田:プロデューサーだ、すごいね

原田:ライブペイントに、(今回みたいな)キャンバス用意するとかも、時代がそんなじゃなかったから、道具運んできて、みんなでキャンバスその場で作って。いざ描き始めたら、本田さんの線が止まらなかったんですよ

池田:描くんだ

原田:ズバーッって

池田:ズバー

原田:5メートルくらいを端から端までバババババッって、線を引いていくんですよ

池田:うん

原田:それを見たときに、単純に絵が上手いとか下手じゃなくて「本田さんかっけぇー」っていう。で、まわりの人はどう見てるのかなと思ったら、けっこう足が止まる。ショッピングモールで

池田:うんうん

原田:それから、ライブペイントも本田さんの仕事になって、いろんなとこでやるんですけど、当時は、障がいのある人がライブペイントして目立つようなことがほぼ社会的になかったので、「見世物にしてる」とか…、同じ福祉関係者の方から言われたり…

池田:ああ!

原田:本田さんは普段はあんまりコミュニケーションとらない。でも、彼はキャンバスの前に立つと、10メートルぐらいの布に何の躊躇もなく、線を描いていくのは単純にかっこよかった。だけど、本田さんという人を知らなかったら、どうなのか。「障がい者が絵を描いている」というふうに見られる瞬間でもあるんだなというのを認識しました。誹謗中傷が本当にひどかったのでライブペイントは「もう止めようか」と悩んだけど、本田さんが絵を描くのを見て「この子、いい線描くね」って言う人もいて。「こんな色で、なんでこんなふうに、どんどん色とか形を変えれるの?」って、おばちゃんたちが感心して「この子、かっこいい」って言ったときに「ああ、これ止めちゃダメだ」と思った。誹謗中傷があったとしても、たぶん突き抜けるまでやってしまえば、たぶん福祉施設でライブペイントということを仕事にしても怒られないだろうなと思ったから、今でもずっと続けてます

池田:ああ、なるほど

撮影:ゆかい

本田さんの厳しさ

門: 池田さんには、ライブペインティングの記録映像だけではなく、本田さんのポートレートや作品の写真も撮影していただきました

池田:本田さんの懐に入って撮れたのは、本当に数枚だったのかな、と思って。それはポートレートに本田さんの姿を残しておきたかったんだけど、そのセッションに関しては、「本田さん、けっこうパンクだな」と思って

原田:うん

池田:それはね、本田さんのやさしさと厳しさが両方あって。1枚しか撮らしてくれない

原田:ああ

池田:絶対に1枚目なの。だから、ぜんぶ1枚目しかこっち向いてない。すごい、やってくれちゃってるの

門、原田:(笑)

池田:やさしくはないの。やさしさは1枚だけ。それは仕事だからっていう…それくらい危うい線があった。ポートレートの2枚目以降に関しては。けど、それ以外の写真とかドキュメンテーションの動画については、この企画そのものを理解して、共につくるということに関してはすごく協力的でしたね。ただ懐に入ろうとしたカットに関しては、許してくれるカットは1枚だけ。それって、けっこうグッとくるものがあった。ロックみたいな。「1枚しか撮らせないよ」みたいな感じ?

原田:ああ、なんかすごいよくわかる

池田:わかる?

原田:わかるな。たぶん、それって相手をまた認めていることでもあると思うんですよ。彼なりにプロとして時間を決めてやっているという自覚がある

池田:あるある

原田:で、一緒に何か協働している人に、「お前もプロだろ」みたいな

池田:そうそう

原田:僕、そこは気づけない。やっぱりアーティスト池田さんと本田さんの…アーティスト同士だから、たぶん感じられたりだとか、交わせる何かだったりする。僕はそこの境地には入れないから

撮影:池田晶紀

ライブペインティングの日に

《シブヤノマチナミ》2022年/ペンキ、キャンバス/共同制作/400×160.2×4.6cm、撮影:池田晶紀

門:今回のライブペインティングでは、渋谷の街路を午前中に歩いて、その空気感と時間を共有して制作に臨むというのが特徴的だったと思います。池田さんには、全ておつきあいいただいて、全部をひっくるめて、また新しい作品に転換するという、ちょっと特殊なプロジェクトだったと思います。

原田:今回はビルに囲まれた雑踏を歩くというのが正直どうかな?と心配で。人もたくさんいるだろうし。本田さん、嫌だったらメチャクチャ歩くペースが速くなるんですよ。置き去りにしていくという(笑)。ただ、今回はそれがほとんどなかったんですよね。参加者に説明する時間も、近くにはいないけど、ちょっとみんなと離れたところで…

池田:待ってた?

原田:聴いてた。やっぱりここ20年で彼なりにすごく大人になった

池田:大人になった!高校のときから見てるわけですからね

原田:そうそうそう。だから感謝の思いとか、「こうやって僕のために集まってくれてる」とか「みなさんのために僕はどう応えるべきか」みたいな。彼なりにたぶん考えて動いていたんじゃないかな。公開制作が2日間あったけど、人も入れ替わるなかでね、池田さんも見てたと思うけど、本田さんって無限に消していくじゃないですか?

池田:うん

原田:どんな絵を描いても。小さい子が描いていても、どんどん消していって、最終的に自分が調整していくんだけど、やっぱり子どもがキャッキャッやってるときは離れて見てたりとかする瞬間もあって、もう本当に「ああ大人になったなぁ」って思って。東京という場所がそうさせたのか。なんか価値観の交換みたいなことはやってるような雰囲気は感じた。僕という価値とあなたの価値をどう交換しようかな、みたいなことを本田さんなりに考えていたのかな。

池田:この残し方*5とか

原田:そうそうそうそう。テープの貼り方とかね。「どんなふうに貼ってもらう?」とか聞いたら、だいたい「まっすぐ貼ってください」とかだけど「なんでもいいです」って

池田:なんでも

原田:みたいな

池田:イメージを超えたいんだろうね。アクシデントを求めているんですよね。「アクシデントも含めたことがコラボレーションでしょ」みたいな

原田:うん

池田:対話の仕方は絵の人ですよね

原田:たぶん最終的に自分でどうにかできるという自信もあるから、そこがすごいにくいなっていう(笑)

池田:まさにそうだよ

原田:そうじゃないと、最初に自分が描いた絵とか、塗りつぶさないもんね。本田さんはこれまで塗りつぶしてきているんだけど、毎回なんかしら、しっかり交換して残していってるところもね。「色変えます」って言って変えた時に、実は線を残してるとか

池田:だからけっこう冷静ですよね

原田:うん

池田:(他の人が描いた部分も)きれいだなと思ったところを残してるんですよね

原田:けどね、この残し方って20年で初めてなんですよ

池田:言ってましたね

原田:過去ライブペイント何回したかわかんないけど。これはもうびっくりした。絶対塗りつぶして、最終的にここにもってくるだろうと思ってたら「これでいいです」って言うから「うそー!」と(笑)。大人になったな、と。2日間、たのしかったと思います。新しい場所で、新しい空間で、今までにない街歩き。まぁ、街歩きが、過去したことないかというとそうでもないけど、やっぱり建物ツアーもありつつ、グラフィティとか、トンネルくぐって駐輪場があってというところとかも、たぶん何か彼なりに感じることはあったんだろうな、と

あと、だいたいやっぱり空を見てたんだよね。建物を見ながら。通りを抜けたところでは必ず、空を見てて、ビルの中、縁を見ている

池田:なるほど。ビルの縁を見てたんだ

撮影:ゆかい
撮影:ゆかい

本田さんを撮影して

門:先ほど、ポートレートの撮影のときの話をお聞きしましたが、街歩きやライブペインティングの撮影はどうでしたか?

池田:絵を描いているときっていう、ライブ感がゾーンに入っているんですよ。終わって家に帰ってとか、スタジオでただ写真撮るとか、だったらまた違うかもしれないですけど。あの、ライブ前のミュージシャンの状態なんですよ。だからちょっとモチベーション上げて、ある意味センシティブな気持ちにもなってる

原田:(笑)

池田:なんかちょっと近よれないもん、なんか

原田:いや、PICFAとか、前の施設でも本田さんって、まわりのメンバーがそうだったんですよ。近よれないって。で、本田さんだけは違うって

池田:ちょっとゾーンに入ってたね。ライブペインティングの前も、自分が今このゾーンに入ってるという状態を作っているなというのが…。こちら側は撮ってるんじゃなくて、いない、消えるというか、空気になって、見えない存在で動かさないと写真撮れないよっていうとらえ方なんです。だから最後の最後とかは、「俺、いるよ」って撮るんだけど、そこはね懐に入る

原田:ああああ、

池田:だから、ライブペインティングの間は存在を消さなきゃいけない。そういうやり方をしないと、本田さんは撮れなかったなと思う

門:おもしろい。そんなやりとりがあったわけですね。それをちゃんと間違いなく撮っている池田さんたちがすごい

原田:いやたのしかった。けっこうカメラマンさんとか、いろんな人と彼も仕事してきたけど、躊躇するんですよね。彼のこう…どう撮っていいかわかんないみたいな。ただ、池田さんは、けっこう、もうVSでガンガン…

池田:本田さんの超えてくる感じが、やっぱりグッときたというのはありますね。「ここにいる時点で協力してるので、ある程度のところまでは協力するけど、そのイメージ通りにはならないよ」っていう感じが、やっててワクワクさせられたり

門:おお

池田:こうしてほしいっていうイメージがあるけど、そのイメージにはならない。そのへんが逆に越えてきたところというか。絵としてもね。絵描きというのは、でもうらやましいですよね

原田:いや、見ててうらやましいですよ

池田:絵で喋ってますから

門:なるほど。今回そういうふうに本田さんの様子を見た上で、写真も撮って、相対していただいた上で、さらにもう一回動画にもまとめてくださった。そこをもうちょっとお聞きしたいです

池田:でも、あのいかに客観的に、観客にとって見やすいか、とか。結局、呼吸とか、間とか、そういう沈黙みたいなものって、効率を考えると、たいていはカットされる時間なんだけども、喋ってないときに内側に響かせているようなことだったりとか、たくさんある。そういう沈黙の時間を門さんが肯定してくれて、「短くしないでいい」と言ってくれて

原田、門:(笑)

池田:人の息継ぎみたいなものに、見に来てくれた人たちが、心の時を、あわせてくれるような展示になればいい。そこに来たとか、展示空間に自分が身をおいたときの時間軸がピタッと、ゆっくりな流れになる、そういう状況になったのを想像しながらやる。それが、たのしいですよね。テレビでガンガン流すものじゃない

門:じゃあやっぱりこのライブペインティングの作品を見る人が、見る映像という意識でつくられたのですね?

池田:あ、そうそうそう。それが前提の展示としてあったから、YouTubeで流さなくてもいいんじゃない?っていうふうに言ったし、完成した状態で、渋谷ってゴミゴミした、スピードの速い街の中で、ゆっくりのペースの自分の生き方があって、コミュニケーションとりながら絵ができていく、そういう時になんかちょっと、俺ね「階段」と呼んでるんですけど

門:フフフ(笑)

池田:それはそれの階段があるな、と。

門:展覧会の会場のアンケートにも「作品と一緒に見れてよかった」と書かれていました。あと、この映像をすごく目指して来た感じではない雰囲気のお客様が、映像を最後まで見ているのも、よく見かけました。

池田:ああ、さっき「会っちゃった」みたいなことを言ったのとつながってるのかもわかんないですけど、会わなきゃわかんないんですよね。で、原田さんにしても、本田さんにしても、会ってみてこういう世界に拡げたり、つながったりとか、新しい窓が開いたりみたいなことが、やっぱりうれしいし

(書き起こし:宇野澤昌樹)

*5=《シブヤノマチナミ》の制作には、幼児から大人まで延べ約80名が入れ替わりながら参加し、本田さんは、その複数の人の手による筆跡を活かしながら、筆や刷毛、ローラーなどを使い、ペンキで色を塗り重ねていきました。従来の本田さんの作風では、偶然を取り入れつつも、自身のルールで塗り替え、幾何学模様のように線と面とを規則正しく構成して世界を作り上げていきます。しかし、この作品には、画面の左端に、参加者によりモチーフの輪郭線が塗りつぶされた、不規則で大きな色面が残されています。全体的な調和を考えると異質な感じのするこの部分は、あえて残されたことで、スクラップ&ビルドを繰り返す渋谷の街の雰囲気を伝える味わい深い要素となっています。同じ時間と場所を共有しながら行うワークショップだからこそ生まれたリアリティのある表現です。展覧会の会場で配布したアンケートには、完成した作品と記録の映像作品 とを合わせて見ることで、次々と変化する制作の様子を知ることができてよかったという回答が複数ありました。

ドキュメンタリー・ムービー「シブヤノマチナミ」

クリエイティブディレクター:池田晶紀 編集ディレクター:菊池謙太郎
撮影:池田晶紀、菊池謙太郎、添田康平、池ノ谷侑花、撮影助手:道幸琴乃
音楽:大野真吾

ドキュメンタリー・ムービー「シブヤノマチナミ」告知ver.
ドキュメンタリー・ムービー「シブヤノマチナミ」告知ver.

上記は告知ver.となります。本編(17分40秒)は、展覧会会場にて上映しました。

プロフィール

本田雅啓(HONDA Masaharu)1983-
福岡県生まれ。幼少期より絵を描くことを好み、家族の勧めで高校生の頃から絵画教室に通い、卒業後は、アートを仕事にする施設を活動の場として創作を続けてきた。2018年からPICFAでの活動を開始。野菜や昆虫、風景や物語のキャラクターなど様々なモチーフを、単純化した輪郭線と幾何学模様や色面を複雑に構成して描く。正確な筆致で、ライブペインティングを得意とし、キャンバスなどの一般的な支持体だけでなく、建物の壁やシャッター、重機などにも描いてきた。主な出展歴に、「すごいぞ、これは!」展(埼玉県立近代美術館、2015年)や、「関係するアート展」(佐賀県立博物館、2021‐2022年)などがある。

原田啓之(HARADA Hironori)1974-/医療法人清明会 障害福祉サービス事業所PICFA 施設長
障がいのある兄と共に育ち、小さなころからボランティア活動に携わるなど、幼少期からもち続けた「福祉」や「幸せ」に対する意識から日本福祉大学へ進学。2002年から2017年3月まで障害福祉サービス事業所「JOY倶楽部」に勤務し、2017年4月より病院施設内に開設された事業所「PICFA」(7月設立)の施設長を務める(「PICFA(ピクファ)」は、Picture(絵画)とWelfare(福祉)の造語)。福祉、医療、アート、地域をつなぎ、創作活動が、障がい者自身のよりよい人生へとつながる社会の構築を目指して様々な活動に取り組んでいる。PICFAでは、年配者のリハビリ事業の一環として、福祉、医療、アートを生かしたコミュニケーション活動も行っている(「TRAFA」)。

池田晶紀(IKEDA Masanori)1978-/写真家、ゆかい 主宰
自身の制作発表と並行して、1999年よりオルタナティブ・スペース「ドラックアウトスタジオ」を運営。2006年写真事務所「ゆかい」設立し、クリエイティブディレクター、映像ディレクターとしての活動を開始。2021年スタジオを、神田ポートビルへ移転し、同ビルのクリエイティブディレションを担当する他、神田地域の情報Webサイト「オープンカンダ」のディレクションなどを行なっている。国内外で多数の発表歴があり、近年の展覧会に「池田晶紀展『SUN』」(スパイラルガーデン、東京、2017年)、「池田晶紀 Portrait Project 2012-2018 いなせな東京」(3331 Arts Chiyoda メインギャラリー、東京、2018年)などがある。主な著書は、写真集『SAUNA』(ゆかいパブリッシング)、『いなせな東京』(コマンドN)他。一般社団法人フィンランドサウナクラブ会員、かみふらの大使などを務める。

左)池田晶紀氏、右)原田啓之氏

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撮影:池田晶紀、菊池謙太郎、添田康平、池ノ谷侑花、撮影助手:道幸琴乃

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