「とどくダイアリー」
「とどく」の展示が始まって早いものでもう12月になってしまいました。展示が始まってから毎週作品の舞台公演「山羊は手紙を待ちながら」も続けているので週に1回は渋谷に行っています。もはや立派な渋谷っ子です。舞台はヤギの被り物を被っての公演なので毎回、剣道をやっていた時ですらこんなに汗をかいたことがないというくらい汗をかいています。渋谷とは思えないくらいの汗です。もう外はこんなにも寒くなってきているというのに。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
「とどく」の自分の展示は色々とイベントがあったので、そのことについて書いていこうと思います。今回の「とどく」での公演なのですが、なんと手話通訳がついている回が数回ありました。この「とどく」でのトークショーや映像の手話通訳、齋藤春佳さんのやりとりの仲介もしている橋本一郎先生と、先生が呼んで来てくれた田中結夏さん(一度だけ橋本先生の学生さん)による同時通訳でした。
それがもう、それはそれは面白かったのです。多分自分たちのやっている本編より面白いんじゃないかなと思うくらい。自分がなんとなく知っている手話とは違う、舞台用のオーバーアクションの通訳がものすごく新鮮でした。見たことなかった。
舞台やコントの手話通訳というものにあまり馴染みがないし見たことないですよね。今回初めて観る人たちは楽しそうでしたし、橋本先生が舞台の手話通訳をするということで来てくれた耳の聞こえない方も、初めて生でコントを楽しめたと笑ってくれていてかなり嬉しかったです。そんたくズで一緒に舞台に上がっている井上さんも手話通訳をすげえすげえと喜んでいました。(多分一番喜んでた。)
イギリスとかでは舞台に手話通訳の回を設けるのは一般的らしいのですが、日本だとあまり機会がないらしく珍しいのだとか。舞台の手話には役者のようなスキルも求められるのでイギリスでは手話通訳者の名前も役者の名前と同じようにチラシに載って、役者と同じく人気不人気があるみたいです。
日本でも手話がつく舞台が増えるといいなと思いますね。なかなか舞台は時間的にも金銭的にカツカツになる劇団が多いので、手話をつける余裕がないところが多いでしょうが。自分も劇団をしていた時はカツカツでした。カツカツというか金銭的には余裕でマイナスでした。けども、公的な支援が充実していろんな人が同じように舞台を面白がれたらいいなと今回思いました。ほんとに。
それと、子供の家の子供達が展示に来てくれて舞台も見てくれたのです!この展示の舞台は彼らに見せるために作ったものだったので、見せた瞬間もう展示が終わったな、という感じでした。お客さんの中で子供達が一番よく笑ってくれていました。いや、この舞台は特に人を笑わせるつもりでは作っていなかったのですがとにかく楽しんでもらえてよかったです。内容も彼らとの手紙のやりとりを溶かし込んでいたりしていたので。
コーディネーターをしてくれた角能さんを交えたトークも終わったし、諸々終わったなあという感じがします。このブログを書いている段階であと2日間の舞台が残っているのですが、それが終われば今年の予定はほぼ終わりです。嘘でした。まだやること全然ありました。
あと、参加作家の大木さんが作品を更新していました。大木さんの展示は「更新アクション」と言って大体くるたびに内容が変わっていたり、思いつきの模様替えのごとく作品の位置が変わっていたりするのですが今回も変わっています。壁に何か書いたりもしてました。大木さんが最初に壁に何か文字を書くのを見ていたのですが、いきなり「田中義樹」と書き始めたので、なんかイヤでした。でも途中からまあいいかと思った時、こういう状況どっかで見たことあるなとよぎったんですけど、ジュリアン・シュナーベルが監督した映画「バスキア」でバスキアが無茶苦茶なもの描いてるのを、評論家のルネ・リカードが見てるシーンがそれでした。あの時そのシーンを頭に思い浮かべてルネくらい優しい目をしてたと思います自分。まあこいつ天才だしいいか、みたいな。
彼みたいなリアルアーティストと関わっていられるのは結構幸せなことだなと思いましたね。
最後に今回の「とどく」でやっている舞台は登場人物の白やぎと黒やぎで、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」を子供のためにやるという内容だったのですけど、「ゴドー」の方にはいるポッツォとラッキーが出てきていないことが重要なんだなと思いました。出てきてないけど居ると言いますか。
いい舞台だと思います。見れた人はラッキー!&ポッツォ。
それではまた!
【文・画像提供:田中義樹 2022年12月8日】