齋藤春佳13【生きているよりも生きていない方がマシなつわり期間内のほぼ唯一のよかったこと】

「とどく」齋藤春佳

4月24日の日記から

「帰りたい」と言いながら出勤。
大好きなオンゴーイングだが、木曜日の友人再会移動陶芸遊びフル稼働から金曜日の学校で土日オンゴーイングバイトとなると全然体力が足りなくってすっかり弱っている。
バスまで歩いてく間、風に当たってやっぱり左目からだけ涙が出る。明日かどこかで目医者に行こうかな。
バス待ちの間左隣にいた夫婦の夫の方が私の涙目に多分ギョッとするのとマタニティマークに気づいていて、その後バスの席のまえを確保して譲ってくれたのが、ありがたくて嬉しかったけれど涙目だったのが恥ずかしくて「…っス」みたいなお礼しか言えなくてさらに恥ずかしかった。

夜のイベント前の空白の時間、今だ!と思ってメモ用紙にメモみたいな手紙を書いた。
返事が来ていないのにも関わらず書く手紙。
そのくらいの気軽さなら、お返事が返しやすいんじゃないかと思って書いてみたけど、返さなくていいか、とさらに思うかもしれない。
手紙のお返事が全然返ってこなくなった。
そんなに心配していなかったけれど、だんだん、大丈夫だろうかと思う時もある。
もはや、届いてるのかな?何かの手違いが起きてないかしら、とまで思う。
私が出していなくて、相手にそう思わせた時期もあったんだろうとも思う。


4月26日の日記から
目医者に行く。

涙が出る左目を見てもらうのと、コンタクトの度数を見てもらう。
去年一年間で30枚しか使わなかったコンタクト。
コンタクトが眼鏡より見えない問題は、予想していた通りやっぱりそれがコンタクトである限りは逃れられないレンズの揺れによる乱視特有のもので、私の近視が大したことないのに乱視がまあまあちゃんとあるから、そういう人はその見えなさに結構ひっかかりやすい、という話を受けて納得した。乱視だけどコンタクトの方が眼鏡より見えると言っていたNちゃんは多分近視も割とあるのだろう。
じゃあ、私のこのなんとも言えない目の悪さ…目の悪さまでいかないのかもしれないけど、目の良くはなさ…は、「どうしようもないんですね…目がよければよかったです…」と悲しんだら、
「目いいですよ」と言われてちょっと心持ち直す。
もっと見えない人がいるということに安心したのか?
でもよく考えると私の目はこれしかないのだから、他の人の目がどうであろうと安心する理由は別にない。

眼内コンタクト入れたりするしかやっぱりないんでしょうか…この程度でそこまですることへの抵抗もあるはある…など、気になり始めるとくよくよと思う。
だって画家なのに。(よく絵を描くことを画家というのならば…)
でも眼鏡してる画家さんめっちゃいるな。
だけどCさんは目がめちゃめちゃいいって言ってた。目がよさそうな絵。本当に羨ましいな。

「バチバチに見たいですか?」
「バチバチに見たいです」
と一旦バチバチに遠くが見える度数にしてみてもらったら、本を読むときにチラチラしたのと「子を産んだら授乳中は基本的に寝落ちと共に生きることになるからコンタクトどころではないのと、基本的に室内で近めの距離を見ることになるから、しばらくの間は遠くがバチバチじゃなくてもいいかもしれない」と言われて、全然イメージできてなかった産後の時間が少し目の前に立ち上がった。
パソコン仕事ですか?と聞かれて、なんか話しやすい感じの看護師さんであることに安心したのか(学校で使おうと思っているので)「絵とかを見たりするときに使いたくて」と正直に言うと「あーそれは、近く見たり、遠く見たり、置いてあるものみたり、するんですもんね」って一緒になってすごく迷ってくれたけど、結局1段階弱めてもらう。上げてて下げるのは難しいけど、物足りなくなったら上げるのはあり得るという話が決め手になった。
待合室では最初のよく見えない目とコンタクトを入れてよく見えるようになった目で昨年の新潮掲載の磯崎憲一郎の日本蒙昧前史を読み返したくて読んでいた。
面白い。ただただ面白い。こんなにただ面白くていいのかな。既刊を買おうと決意する。

左目の涙はただのドライアイと結論づけられて目薬三本ももらってこれはこれで欲しかった目薬だからその時は嬉しかった。


2月3日の日記?思ったことを、メモから思い出して書く。
搬入。
昨日休ませてもらったぶん、気合を入れた気持ちで動く。
かわゆいロープの結び方を伝授してもらった。
「顔色悪いですよ」と言われる。
関わってくれる全員にご心配おかけしている。
同じ週数くらいの妊婦の人がSNSで絶賛しているかむかむれもんを合間でおやつに食べてみたけど、全然求めていた味ではなくてびっくりした。

乗り換えを待つために立って留まっているのもしんどくて、もはやK駅から歩くことにした帰り道、下弦の月が細く光っているのが橋の手すり越しの遠景の光の向こうに見えて、「お〜」と思った。
「これは伝わるのかな」ということを、伝わらないだろうなという方向の矢印を持ちながら思った。
この月を見て「お〜」と思ったことはお腹の中の人には伝わるのかというと、見えていないから伝わらないだろうな。
まだ”見る”ということ自体が起きていないらしいし。
でも、一切伝わらないとも言えない。

そうなってくると、この状況での”伝わる”状態は、もはや”見る”ということだと、私は思いそうになる。

それでいてむしろ、この人が外に出てきて目が表面に現れてからも、
「ほら」と見せたからと言ってそれがわたしの「お〜」と思ったのと同じようには伝わらないのだろうなと思った。

いい香りがしてきて、生垣の椿が爛漫で、香りを放っているのに気づいた。
椿に香りがあることを、初めて知った。
つまりこれは、つわりで嗅覚が敏感になっているから気付けた香りだとわかって、つわりにもいい点ってあるんだ。と思った。
それは、この生きているよりも生きていない方がマシなつわり期間内のほぼ唯一のよかったこととして、しばらくずっと、今も光っている。
この出来事を忘れないでおけば、もしかしたらいつか、何かまた別の体の在り方になってしまってその体で世界を生きることが苦しかったとしても、それでも、生きていないより生きている方がいいと思えるんじゃないか。
だから忘れる前に書かなくちゃと思っていて、でも書くことができなくて、それをやっと今になって書いた。
展示の準備の制作中、不安と気持ち悪さで弱音を吐いたら、「思ってるならそれをひとつひとつやればいいじゃない」と言われて、「いつもみたいにできないんだよ」と泣いちゃったの、かわいそうだった。
今となってはもう他人のような私。
いつでも、他人のような体になる可能性はある。
それでいて、どの体でもその体にしか感知することができない世界がある。

4月の終わりの最近はそこかしこの生垣のツツジが爆発的に開花していて、夫が「横を通ったりすると香りがすごいよ」と言っていたけど、今の私はもう気づかないし、それを言われてからツツジの横を通ってもあんまりぴんと来なかった。

【文:齋藤春佳】

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