齋藤春佳「とどく」1

「とどく」齋藤春佳

●2020年12月7日の日記から
渋谷の打ち合わせ、《とどく》っていうのは、この手話が一番包括的なんですか? という問いの先、「 《聞く》っていう手話も難しくて。《 聞く》(耳にむかって物が入ってくるのを指し示すような)っていうとか、《聞く》(耳を傾けるような)あるけど、それは、聞こえない人にとっては、違うのだから、 僕は《聞く》っていう時に、《聞く》(手の指で作られたさざ波が胸に押し寄せる様子)ってこうやるんです。 」っていうのを見たときに急に感動して泣きかけた。心の位置を示すようなその手話は、最近の制作で、自分が今やりたいと思っていることというか目に見えないし掴めないんだけど信じている領域に関わる感じがした。
簡単な言い方をすると、自分以外の他の人にもそれぞれ心があるということで、それを裏付けるような形の手話。でも、簡単な言い方すぎてそれでは言いたいことが書けていない感じしかない、簡単に言えないことを簡単に言ってしまったらそれは別のものになる。人にそれぞれ心があること、それが見えていないんだけれど存在を確かだと思うこと、その上で三次元の空間に立って見る二次元の絵画だったりインスタレーションによるイメージ表現や、もしくは文字の記述にできることがあるんじゃないかと最近考えていて、日常生活の中で目に見えたりしないけれどそれぞれの人の頭の中というか心の中にはイメージが映像的に現れる場所というか空間みたいなものが本当にある、と信じる、”りんご”と読むと頭に浮かぶ像が全く同じではないけれどある形で現れる仕組みを手放しながら信じる加減に面白みがあるからやれることがある。自分が聴覚障害者の方とやりとりしたいと思った理由の核にあるものが実際に目の前に現れ出た気がして急に感情が昂ぶったのだと思う。

地下鉄連絡通路に入る前のところに“しぶちか”と金属の立体で書いてある文字の一つ一つが関係を持たないバラバラの物体にも思えることと渋谷の地下を表すこと両方を理解しながら歩く。 ここを通ると、何年か前にここを通った時に見た生け垣のコンクリートのきわに座って横に置いたハムをパックから箸で食べながらチューハイ飲んでたおじさんのことを思い出す、おじさんの見た目は忘れてるけどペロリとフィルムがめくられているところから箸でペロリと持ち上げられたハムのことはよく覚えてるというか「ハムはつまみにならんのでは」と思った気持ちは覚えている。

●2020年12月14日の日記から
意味あるかどうかわからないけど指文字を覚える。指文字の形図示と覚えるコツ(“ほ”はヨットの帆のよう、とか)の載っているサイトと、思い込みの形があっているかどうかのYouTube確認によって覚えた。脳細胞の連結を神経側から作り出す感覚。もうダメだと思ってた自分が案外物覚え良くて嬉しい。だいたい3時間半くらいでつっかかりながらも、思い出しながらそらんじるくらいまでは覚えることができて、子供ならもっと早いと思うから、小学校とかで授業でやってもいいんじゃないかと思った。
アルファベットのローマ字表記を子供の頃におぼえたとき、うれしくてノートの表紙とか無駄にSANSUUとかKOKUGOとか書いてたみたいな感じの喜びがある。文字だけ、ひとつひとつの表記、一個一個が、連続すると意味になるという物事が、書き文字とも似ているように思えておもしろい。
その勢いで午後図書館に手話の本を借りに行って厚い本を抱えて帰ってきたけれど、なんか飲み物を持ち込まないでと注意された瞬間にペットボトルの水を吹き出してからトイレに立てこもった人がいて図書館のムードがピリピリしてたのもあってか、関係ないかもしれないけどなんかそのムードを引きずって、せっかく借りてきた本なのに気が乗らなかった。
それに、覚えてしまうのが怖くなった。
手話を覚えてしまったら、覚える前には絶対戻れない。
つまり、今はわたしは手話を見ても何にも読めないっていうか、雰囲気はわかるけど何も読めない状況で手話を見ることができる、その動きを見ることが頭の中の決まった場所に結びつかない状況として見ることができる。
まだ始まる前なんだから。とも思った。
まだトークの収録もしてない。手紙のやりとりもしてない。
この状況を、まだ手放さないまま、わからないまま始めたほうがいいというか、わかった気にならないようにしたい。
指文字をただの動きの面白さとして見ることはできなくなった。
(これは無神経な飛躍かもしれないけど、耳が聞こえてしまったら、聞こえない世界にはいけないっていうこともあるかもしれないと思った)

指文字練習 2020年12月14日・齋藤春佳 harukasaito

●2020年12月15日の日記から
上腕が筋肉痛になっていて思いがけなかった。指文字よろこんでやりすぎ。

●2020年12月17日の日記から
指文字前より覚えてきた。覚えてきたけどまだ結び目が見える感じの結びつき方で、50音と手指の神経が同時に発されるようになるまではまだ遠い遠いところにいる。楽器を弾く時、その音を出す時にどういう筋肉を動かすのかというふうには考えていなくてその音を出すことを考えた時に動いてしまう体があるけれど、全然その段階には達していない。

指文字練習 2020年12月17日・齋藤春佳 harukasaito

●2021年1月9日のことを思い出して今書く
やっと渋谷の手紙を書く。少しずつ違うけれど、全員にほとんど同じ内容の手紙を書きました。絵は違う。年末年始のことや、初夢のことを尋ねる。自分は青い絵を描いている初夢で、画家の初夢じゃんと思って起きた時にけっこう愉快で嬉しかった。という自分のことも書く、自分のことをどこまで書いていったらいいのかわからない。6通の手紙を書いている2通目と3通目の間にめちゃ好きなドラマ「泣くなはらちゃん注1」再放送を見て、このフィクションの仕組みの在り方って、”イメージやフィクションなどの描かれた物事自体も、ある形の現実”という自分の作品の根幹に染み渡っている、と気づいて、途中からすごい好きなドラマとしておすすめの弁を書いた。同時に、フィクションというもののかたち、ストーリーがあるもの、そういうものが何か、ヒントになるんじゃないかと思って、おすすめドラマも尋ねた。何もわからない気持ち。

●2021年1月21日の日記から
自分は特定の人や物に推しという感情を注ぎ込めないな、と思う。教えてもらいたいと思う。(※もらった手紙に推しについての記述があったからそのことを考えていてそう考えました。)白いティッシュにボタンを三つ縫い付けて赤いタータンチェックの布地を着せただけにしか見えないピカピカに真っ白な子犬が手足をババババと動かしているのを見て、ひー。と苦悶に近い可愛いという感情が表情を形作って眉間に集中したのを感じながらOngoingへたどり着くまでのあと40mの直線を自転車で走った。先週わははというようすでボテボテ歩いていたシーズーを見た時は、かわいいよう~ニコニコという表情に自分がなってしまって、その時との違いがどういう形であるんだろうかと答えが出ないまま考えつつ道を渡って自転車を停めた。
(※この時の犬の絵を他の紙と紐で組み合わせて便箋として送りました。推しの話について聞きたい相手には、自分の昔飼ってた犬の絵を描いた、自分の飼い犬についての気持ちはある意味推しに近いのかもしれないとかも思った気がします。)

●2021年1月23日の日記から
ウレタンマスクに不織布マスクを初めて重ねる。
新宿でMさん、Iさん、Hさんと打ち合わせ。
知らない人と久しぶりに話して面白かった。13時だと間違えていて早く行ったので、わざわざ都会に出てきてわたしが行くのはここ、と思いながら紀伊國屋に行って世界堂に行って、14時に待ち合わせた。道端で歩きながら傘が裏返って発作的に笑い続ける女と怒鳴り続ける男を見た

夜、遠藤周作「わたしが・棄てた・女注2」を読んだ。 (※手紙で勧めてもらった小説です。)
これが一番好きになる心はわからないけれど、理解しようとはできる。
運命とそれに拘うことのない善行の選択。
逆に善行に拘うことなく降りかかる運命。
それが重なる無数の運命。
一度関わった人と人は、それをなかったことにはできない。
耳の聞こえない自分の状況と、さらに私との邂逅についてのとっかかりとして選択してくれた本である気もした。
「残響注3」を渡そうかとも思う。(※一度関わった人ともう一生会わなくなったとしても本当に大丈夫、という”読後感”と、”もう会わなくなったとしても大丈夫、と思いながらその本を半分あげるつもりで貸してあげた人がそれをバルセロナの空港の椅子においてきちゃった、と言ってがっかりしたんだけどその本が行ったこともない場所で他の誰かに手に取られることを想像したらそれを忘れてきちゃうしかも読んだ感想を聞いたら「村上春樹と似てると思った」とか言ってて「ぜんっぜんちがうよ!顔は似てるけど…」とわたしが声を荒げることになったその人に持っててもらうよりそっちの方がもっと良かった、っていう出来事”が物事の有り様として重なっていて、だからその読後感が正しかったかは手元にないから確認できないけれど、それとは価値観が絶妙に違うんだろうけれど「わたしが・棄てた・女」における”一度関わった人と人はそれをなかったことにはできない”に、重なるところがありそうだと予感した/押し付けがましいかもしれないけれど、あとで自分の分も買って一冊手紙と送りました。)

●2021年2月16日の日記から
「わたしが・棄てた・女」を勧めてもらって、
読んだ?
読みました!
読んだの!? あらー
そのおんながなんなんだっけ、みりょくがあるんだっけ
いやそのおんなが…きよいんです
あー

生まれて初めて「きよい」という言葉を口に出したかもしれない。

● 2021年2月4日の写真のことを思い出して今書く
「わたしが・棄てた・女」の女の絵を描いてみました。森の中に静かにいる人、やわらかな黄色いカーディガン。これがどうか、いまいちわからない。描けていることになるのか、描くとしたら何を手がかりにして描くのか。




●2021年2月18日の日記から
「愛の不時着注4」をいつまでものめり込めない、いつのめり込めるんだろうと思いながら見終わってしまってびっくりする。弟分たちとの別れのシーンで毎回泣いたけれど、わたしには愛がわからないのかもしれない、、、と思いながらYちゃんにメールしたらわたしがヒョンビンのことタイプじゃないからなだけ説が浮上した。(※もらった手紙含め、友人や複数の人に勧めてもらって一生懸命見た)

●2021年3月26日の写真のことを思い出して今書く
「その小説について描いたんだけどピンとこなくてもっと描いてたら消しちゃったんだ」と言ったら「それについて描いたんだけど消した、と言われるとなんかそういうものとして見えるね」と言いながらYちゃんが撮ってくれた写メ。






その絵をブログに載せようと思ったけどケータイ忘れたので家に持ち帰って撮った。



●2021年4月4日
手紙でおすすめしてもらった「ヴァイオレット・エヴァーガーデン注5」の一話目を見てみる。”アニメというもの”という形で認識に入ってくる。

●2021年4月5日
このブログの文章をまとめています。
3月になってだんだんとお返事を6人全員から頂いた(人によっては2通目)のだけれど、年度始めでバタバタしてしまっているのを言い訳に、今ちょうどすべてのお返事をわたしがする番です。書いたのに出しそびれてしまっているものもあって、それは出せばいいだけなので、出さなくては。とちょっと焦った気持ちがあります。
ここにどんな手紙をもらってどんな手紙を書いたのか、どのくらいやりとりの内容を書くのか、迷ってしまって結局ほとんど書いていないけれど、このプロジェクトが始まって、手紙のやりとりをしている一人一人のことやその全体が自分の生活している中の様々な局面に染み渡っている感じがしています。お返事を発見する時の心が沸く感じとか(お返事が届くと本当に嬉しくて「やったー!」とか「オッ」とか言ってしまいます。)、もっとそれを細かく書き残しておけば良かったなとも考えています。
指文字は4ヶ月経った今も覚えているけれど上達もしていません。全然練習しなくなったから忘れたかしらと思ったけれど体が覚えていました。
手紙のやり取りというものが、期待やコントロールがきかない範囲であることを分かりながら、楽しんでいます。
最初は6人が同じところにいて、そこに向かって手紙を書いていたけれど、一度返事が来るだけで、それぞれの人と自分の距離や場所みたいなものが、どんどんばらけてきている感じがして、面白いです。
12月に配信されたこの「とどく」のキックオフトークで
「わかりあえない人とはわかりあえない、どんなに言葉を尽くしてもわかりあえない人とはわかりあえない」とわたしは確か言って、それはその日自分の生活の中で超ホットな出来事と感覚だったんですけど、その先をちゃんと言ったのか忘れて不安なのでここで改めて書くと(わたしは頭の回転としゃべるのが遅くてトークだと言いたい結論の前提だけを言って満足しちゃって終わってから後悔することがあるなと最近発見しました)
たぶんだけれど、その人がその問題の中で生きた時間がどれだけあるか、ということが、わかりあえない人とわかりあえる人を隔てるものなんだと思う、それがない人にはどんなに言葉を尽くしてもその言葉の指し示すものは伝わりようがない。
だけど
だから、「わかりあえない人とはその時は瞬時にわかりあえなかったとしても、時間がたったらわかりあえるようになる場合もある/また、そのきっかけとなるできごとも存在はするはず」と、期待したいと思いながら生きていて、また、自分がまだ聴覚障害者の方の世界のことを考える時間を十分に生きているとは言えない今の段階で、何かを分かったと思い込むことを恐れてもいます。案外、自分のわかっている範囲に作品を入れ込まないようにする作り方でいけば、結構ナチュラルに進んでいけるのかな、とも今書きながら思いました。
これから1年以上ある時間を楽しみに思っています。

【文・画像提供:齋藤春佳】


注1 「泣くなはらちゃん」(2013年のテレビドラマ、日本テレビ)
注2 遠藤周作『わたしが・棄てた・女』文藝春秋新社、1964年
注3  保坂和志『残響』中公文庫、2001年
注4 「愛の不時着」(2019年-2020年に放送された韓国のテレビドラマ)
注5 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」(暁佳奈による小説を原作とする2018年のテレビアニメ

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